日本の国家「君が代」や繊細な「日本語」を
改めて見ても・・
人生とは「捉え方」「感じ方」を次元上昇させる
ゲームのようなものだと思います。
日本は神道の国
こう言われる所以は、ここにあるのではないでしょうか?
なぜなら、君が代も日本語も自分の捉え方や感じ方に
よって全く違うものになるからです。
まったく同じ言葉を受け取っても、自分の捉え方や感じ方
によって全く異なる世界が創造されるのです。
日本という国、母国語とはそういう天の理で
成り立っているのではないでしょうか。
つまり・・
感謝
真愛心からの「ありがとう」「ごめんなさい」
解釈の次元上昇という使命が日本人には
天の理として授けられているのではない
かと思うのです。
私たちにとって本当に大切なものは?
それは、知識や情報以上に【運】ではないでしょうか。
自分の状態、感覚、解釈を成長させることでは
ないでしょうか。
だから、どんな時でもわたしたちの心は
真愛心(まごころ)からの感謝と共に在る。
難しい知識は不要
善いも悪いもない、ただひたすら感謝
真愛心(まごころ)からのありがとう、ごめんなさい
わたしとあなた、この世界に幸あれ
これが「日本人の生き方」「使命」ではないでしょうか?